読書の醍醐味は、漠然とイメージしつつも

2014年3月9日3時2分 読売新聞 書評の引用

[ビタミンBOOK]まなざし秘められたパワー…脳研究者 池谷裕二
2014年3月9日3時2分 読売新聞

 我が家の犬は幼い頃、新聞を広げると、前に入り込んでくる癖がありました。特に構って欲しいわけではなさそうです。ある日気づきました。飼い主の視線の先で遊んでいたいのだと。イヌは人の視線を読むことができますが、オオカミにはできません。イヌがヒトに好かれるのは、まなざしを感じる能力があるからかもしれません。

 まなざしとは不思議なものです。目からビーム光が出ているわけではないのに、この非物理的な存在感は圧倒的です。『まなざしの誕生』(下條信輔著、新曜社)を再読しました。著者の本はすべて読んでいますが、同書はとくに好きです。理由はいくつかあります。隠れた名著を分別顔で衒言げんげんできる快感もその一つですが、何よりこの本が25年以上前に出版されながら未いまだに色いろ 褪あせないことが支持する根拠です。私の確信を裏付けるかのように、長らく絶版だったのち、数年前に再出版されています。

 読書の醍醐だいご味は、漠然とイメージしつつも上手うまく言葉にできないことが、本の中で的確な表現で言語化されていく様子に触れる瞬間にあります。今回もそんな快感を味わいながら、改めて「まなざし」に秘められたパワーを実感しました。

 本書は発達心理学に軸足をおいています。つまり、乳幼児がどう成長してゆくかが、表面上の主題です。しかし、扱う対象は奥深く、知能や心など、人間原理を根源から抉えぐってゆきます。つまり本書は赤ちゃん学を装った人間学全般なのです。

 ヒトの心の実体を知るためには、心の発生現場をおさえなくてはならない――これが著者の狙いです。では、心はどのように芽生えるでしょうか。最終章に用意された予想外な答えに向かって読者を引っ張り込む、この強い駆動力に抗あらがうことはできません。